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雑記

離婚ドラマと習慣と

うちのコは、なぜだか私に離婚ドラマを見せたがる。

そんなつもりはないのかもしれないけれど、最近よく続いている。

今日も土曜日の朝から離婚のドラマを見ている。

部活行く前に見るドラマじゃないと思う。

正直、私は離婚して1年すぎて、ようやく心の平穏を取り戻そうとしている所。

まだ、離婚ドラマを平気で見られる状態ではない。

そんなことを言ってたらいつまでたっても立ち直れないのは分かっているけど、
なんでうちの子は、たくさんドラマがある中で、わざわざ離婚ドラマを選ぶんだ。

「ママへの嫌がらせ?」

つい、気持ちが口から出てしまった。

「おすすめで、出てきたから」

好きな脚本家のドラマを探していて、たまたま娘の関心を引いたのが
離婚を取り扱ったドラマだったらしい。

まあ、いいけど。

娘が最近好きな脚本家は、湯川和彦さんと宮藤官九郎さん。

私も好きな脚本家だ。

この方々の作る作品は総じておもしろいので、離婚ドラマだろうと見るしかない。

ちょっとまだ心の傷は癒えてないけど、見ることにした。

それにしても、うちのコは、48歳の私と同じ趣味なんだから、子どもなんだかおばさんなんだか分からない。

ドラマに年代なんて関係ないのかもしれないなと思った。

作る側は、きっと私のようなおばさんをターゲットにして作っているんだと思うけど、
見ているのは、こうして中学生の子どもだったりする。

私も子どもの頃、母親の好きな土曜ワイド劇場ばっかり見てたし、橋田壽賀子さんのドラマ「渡る世間は鬼ばかり」の時間は絶対にチャンネルを変えてはいけなかった。

母にとって「渡る世間は鬼ばかり」は1週間の疲れを癒やすオアシスのような作品だから。

そのドラマに限っては、中断されないように、
私や父に、チャンネルを変えたら殺すというオーラを出す。

言われたことはないんだけど、全身から出ているもんだから、
父もその日は大人しくしている。

母がドラマで感動して泣いている隣で、なんでそんなに必死になって見ているんだろう、
なんでそこまで泣けるのか分からないな、などと思ったものだ。

今日はまさに、その再現をしてしまった。

私は洗濯物を干しながら、離婚ドラマを立って見ていたんだけど、
だんだんおもしろくなってきて、家事を中断して座り込んで見ていた。

まあ感動的なシーンがあり、俳優さんの演技も素晴らしくて、私は泣いてしまった。

ティッシュを取る様子を見て、うちの娘は

「なんで泣いてんの?」

と、あきれた顔だった。

言われてないけど、伝わった。

ああ、昔の私と同じこと思ってる。

私もなんで母が泣いているのか分からなかった。

泣くなんて、大げさだなって思ってた。

でも、今なら、おとなになって、母になった今なら、分かる。

ただドラマで感動しているだけじゃないんだよ。

ドラマを見ていると、自分の人生とか、今までの事がバババっと駆け巡って、
ドラマと自分の人生が重なって見えることがあるんだよ。

似たような経験、私もあったわって。

みんないろいろあるよねって。

なんだかがんばってる人を見ると、自分のがんばった時の事も思い出されて、
失敗した時のことも思い出して、悔しかったことも思い出して。

それで、いろんな感情が溢れ出すと、涙が出てくる。

泣きたくて泣いたわけじゃないんだけど。

感動とはこうして起こるんだなと。

なんだか知らないうちに心を動かされると、体の反応で涙が出る仕組みになっているんだろう。

防御反応なのかな。

最近、しばらく泣いてなかった。
涙がとても溜まっていたから、ドバドバ出てくるんだから、困るけど。

涙が出ると、スッキリするし、少し元気が出てくる。

今週、私はパワハラ撃退事件があったので、実はダメージがあった。

撃退したのは私なのに、とても凹んでいた。

理不尽な罵詈雑言を言われたので、いつもはスルーしていたけど、今回は言い返した。

あとで考えた。

正当防衛なんだけど、過剰防衛だったかもしれないと。

相手から謝罪の言葉を引き出したので、そこでやめようと思ったんだけど、やめなかった。

なぜなら、その謝罪は口先だけのものだと、私には分かってしまったから。

感情がまったくこもっていない謝罪だった。

だから、さらに続けたんだった。

だから、やっぱり過剰防衛ではない。

正当防衛だ。

やられたから、やりかえしただけ。

今まで何年もスルーして、見ないふりをしてきた気持ちを、私以外にも被害にあってきた人たちの仇討ちを表現しただけ。

これでよかったと思っている。

これでもう終わりにしたい。

できればもう忘れたい。

けれど、なにかしら関わりはあるので、
また同じことを言われたら、対処しなければいけない。

乗り越えなければいけない。

正直、めんどくさい。
そんなどうでもいい奴のことで、また悩むのもばかみたい。

一瞬、転職しようかなとも思ったんだけど、
なんで、被害者の私が転職するんだろうと思い、やめた。

私が逃げてどうなる。

残された女性たちにまた同じことをするに決まってる。

私のように言い返せない女性たちはどうなる。

同じようにスルーして、凹んで、どうでもいい奴のために、転職をすることになる。

負をループさせることはあってはならない。

退治しなければならない。

もうしばらく戦ってみよう。

おばさんの武器は今のところ、一撃必殺を考えること。

「侮辱罪は1年以下の懲役、若しくは30万円以下の罰金です。」

これを心の中で唱えて、いざとなったら、本当に使ってやろう。

正しくはこんなに長いから省略だ。

” 侮辱罪とは
刑法第231条 事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、1年以下の懲役若しくは禁錮若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。”

そして、できるならば、キックボクシングでも習って、身も心も鍛えたい。

なんせ、奴はなにをしでかすか分からないパワハラ野郎だ。

パワハラ野郎に負けるな。

転職は最終手段だ。

離婚ドラマを見て、そんなことを考えていた。

娘が部活に行く時間になったので、ドラマの途中だったけど止めた。

私は、今の気持ちを忘れないようにここに書いてる。

ふと思った。

なんで、娘は私に離婚ドラマを見せたんだろう。

前も違う離婚ドラマを見せられた。

もしかして、娘は離婚を勉強中なのかもしれないなとも思った。

私のように離婚しないように、離婚とはなにかを勉強中なのかもしれない。

もっと学生向けの恋愛ドラマを見ればいいのに。

中学生なら、恋愛ドラマだろう、普通は。

恋愛ドラマも見ていた時期はあったのに、最近はめっきり見なくなっている。

それか、私に向けて、こういうおもしろいのを書けと
勉強させるために見ているのかもしれない。

私のためかもしれない。

彼女は、とてもしっかりしているから。

もっと子どもっぽくていいのに、私がダメな母親だから、
しっかりせざるを得なかったのかも。

とても優しい子だから、自分のことよりもいつも人のことを優先している。

お菓子を食べるときには、

私にまず

「どうぞ」

と差し出す。

私は食べるとも言っていないので、ひとりで食べていいのに。

最後の1個になると、

「残り1個だけど食べる?」

と必ず聞く。

友達とただ買い物に行っただけなのに、私の分のおみやげを買ってくる。
「ママの分も買ってきたよ」

私がそうやって教えたわけではない。

私はそんなに他人優先に生活してない。

どちらかというと、私は気遣いが足りない人だ。

彼女の父親もない。

でも、彼女は自然とそういうことをやっている。

誰かの真似をしているとしたら、私じゃない。

私の両親かもしれない。

私は過保護な両親に育てられたので、愛情は大量に受け取った。

悪かったことはないと思う。

ちょっと人を信用しすぎな所はあったけど、騙すよりはいい。

両親の教育方針は、愛情は少ないより多いほうがいい。

他人に迷惑をかけてはいけない。

そんな育て方だったと思う。

実家に帰ると、いつもごちそうと、その大量の愛情を浴びる。

満面の笑みもセットで。

ごちそうのあとに、デザートと、お風呂あがりにはまたお菓子。

つねに、お腹はすいてないか、のどが乾いてないか、
寒くないか、暑くないか、疲れはとれたかとか、
旅館の女将よりも、もてなしてくれる。

両親にとってはそれが普通で、もてなすのが習慣になっている。

彼女には新鮮で、それを真似しているんじゃないかと思った。

実家から自宅に戻ってくると、
じいちゃんとばあちゃんはやっぱりすごいといつも言ってるから。

私はまだまだらしい。

子どもって、人間て、やっぱり育った環境や習慣で性格もできあがるんだと思った。

習慣が人を作るんだ。

どこかの映画でも言っていた。

なにかの本にも書いてあった。

習慣が大事なんだというのが、48歳にしてようやく分かってきた。

禁酒も筋トレも習慣にしたから続いている。

知っていたんだけど、あらためて実感した。

今の私は自分のことで必死だな。

もうちょっと子どものことを考えないと。

いつか私も孫ができたら、両親のようにそうやってもてなして、

ばあちゃんはやっぱりすごいと言われたいな。

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