「やる気なんてモノはない」
ラジオで言っていた。
なんで早く言ってくれなかったんだろう。
もっと早く言ってよ。
なんで私はそれを知らなかったんだろう。
バカだからか。
みんな知っている、当たり前の事なんだろうか。
48年生きてきて、知らなかった。
20代の頃、仕事に燃えていた。
だからこれが「やる気」なんだと思っていた。
すぐなくなってしまった。
その後は、ひたすら「やる気」が起きるのをずっと待っていた。
待っても待っても「やる気」が出てこないから、
これはちょっとおかしいぞと思い始めた所だった。
まさか、「やる気なんてモノはない」とは思わなかった。
「なにか」を始めると、「やる気」が出てくるらしい。
「なにか」を始めると、「やる気」が出てきて、継続できるらしい。
その「なにか」は、人によって違って、
私にしかない、「なにか」があるらしい。
たくさん「なにか」があるかもしれないし、1個かもしれない。
1個も見つからなければ、見つける作業をするしかないらしい。
私はいろいろ思い当たることはあるけど、「なにか」は「好きなもの」なんじゃないかと思っている。
あと、なぜだか「怒り」を感じるものも、「なにか」じゃないかと思っている。
そして、「書くこと」が、一番の「なにか」じゃないかと思っている。
20代は、仕事に燃えていた。
私はどうしても映画が好きで、映画に関わる仕事がしたくて、日中働きながら夜間の専門学校に行った。
転職して、制作会社に入った。
挫折してやめた。
結婚に逃げた。
出産した。
夫はアル中だった。
10年悩んだ。
子どもを連れて離婚した。
今は、離婚疲れを癒やし中で、ようやく落ち着いてきた。
書く仕事がしたいと思っている。
自分ではハードルがとても高かった離婚をできたので、
もうこうなったらなんでもやってやろう、
好きなことをしてやろうと思っている。
48歳で遅いかなとも思うけど、
「年齢なんてタダの数字」
と、私の推したちが言ってるし、いろんな人もそう言ってるから。
バカの私は、信じてみようかと思っている。
書いていると、なんだか「やる気」が沸いてくる気がする。
気のせいかもしれないけど、書いていると心が楽になる時がある。
なんだかスッキリする。
ただ、作家になりたいのか、ブログでこうやって自由に書きたいのか、
趣味でいいのか、プロになりたいのか、まだよく分からない。
できれば、プロになりたいけど、
歴史上の偉人たちを見ていると、みんなはじめは兼業作家だ。
副業で作家をはじめて、それから独り立ちしている。
だから、私もまずは趣味でもいいから副業として作家をはじめて、
いずれ、作家だけで食べていけたらいいなと思っている。
作家になるのに、学校に行ったほうがいいのか、書き方の本を読めばいいのか、
まだ分からない。
ベストセラーをたくさん読んで書き方を勉強すれば、学校に行かなくていいのか、
学校に行ったほうが分かりやすいかなとも思うけど、
なぜだか勇気が出ない。
ついていけるかなとか、仕事と家事と育児と両立できるかなとか。
春頃に行こうと思っていたんだけど、夏に体調を崩してしまった。
そこでいっきに「やる気」が起きなくて、どうしたもんかと悶々としていた。
そして、秋になりもう今年が終わるんだと思った11月。
「やる気なんてモノはない」
とラジオで言われたのだった。
だから、「やる気」を自分で起こすためにも、こうやって書いている。
とりとめもない文章で、私しか読まないけれど、私のブログだからいい。
あとで見返すためにも書いてる。
そしてもしかして、同じように「やる気」で悩んでる人が読むかもしれないから、
その人のためになったらいいなとも思って書いてる。